スマイリーキッズ : スマイリーキッズとは?

【お知らせ】
「スマイリーキッズ」は2001年2月を持って解散しましたが、 このページはそのままの形で残しておきます。
なお、このページは私が勝手に作成しているものであり、公式のものではありません。


菊池志穂 オフィシャル ファンクラブ「Smilly Kids」

「Smilly Kids」って何?

「Smilly Kids」は、声優の菊池志穂さんのオフィシャルファンクラブです。 「Smilly Kids」は「みんな仲よく」をモットーに、 会員の意見やアイデアをなるべく取り入れながら、 本人とファンの間、そしてファン同士の交流をより深めてきました。

1995年秋頃から、菊池志穂さんがパーソナリティをしていたラジオ番組 「おさんのさんぽみち」のリスナーを中心に、 インターネットのメーリングリストやNIFTY-ServeのPATIOなどで、 ファンが独自に私設ファンクラブという形での活動を始めていました。 これらの、私設ファンクラブの活動は、公式ファンクラブ開設後も、 独立した形で続いています。

1997年12月発売のデビューシングル「きみとぼくのうた」のジャケットにて、 初めて公式ファンクラブ開設の告知がありました。 その後、同シングルのキャンペーンイベントなどでも告知が行われました。 1998年3月、ついにファンクラブの活動が始まり、会員証や会報の発送が行われました。 当時の会員数は400人ぐらいだったのではないかと思われます。

1998年8月に、「強化合宿」という名の初のファンクラブイベントが行われました。 その後、事務所の移転も何回かありましたが、会報も何とか順調に発行され、 1999年4月には2年目突入イベントが開催されました。 この時点で、会員番号は510番ぐらいまで行っていたようです。

1999年10月2日・3日には、浜名湖かんざんじ温泉で2回目の合宿が行われ、 約80名のファンが参加しました。 これが、「Smilly Kids」としての最後のファンクラブ開催イベントとなりました。 12月にクリスマスイベントの開催が予定されていましたが、 「適当な会場が見つからない」とのことで、そのままお流れになってしまいした。



菊池志穂ファンクラブ「スマイリーキッズ」

「スマイリーキッズ」って何?

2000年1月、事務局が現在のオフィス・トワイライト内に移転しました。 それと共に、ファンクラブ名の表記が「スマイリーキッズ」となり、 ロゴも変更されました。 2000年3月に、待望の公式ホームページ「スマイリーキッズ・プラス」が開設され、 本人からのメッセージや出演情報が掲載されています。 ホームページには本人もアクセスしており、 掲示板にもたまにメッセージの書き込みがあります。 また、ホームページと会報作成担当として、 新キャラクターの「モナ」が登場しました。 モナは、掲示板のメッセージにもこまめにレスを付け、 そのために開設当初から大盛況となっていました。

2000年4月、ファンクラブ3周年突入イベントが開催されました。 その際、本人が事務局に所属したことにより、それまでの 「公式ファンクラブ」という呼び方が出来なくなったことが発表されました。 これにより、それ以降は単に「菊池志穂ファンクラブ」と呼んでいます。 また、同様の理由により、グッズについても「mona club」 というブランドに方針転換されました。 一方、ホームページには会員専用ページが開設されました。 こちらは、本人撮影によるデジカメ日記と、 掲示板での情報交換がメインとなっています。

2000年10月、会報に同封された本人からのメッセージにて、 「スマイリーキッズ」およびホームページ「スマイリーキッズ・プラス」 が、 2001年2月いっぱいで解散することが発表されました。 そして、2001年2月24日に浅草の「木馬亭」にて、解散イベント 「The Last Event スマイリーキッズ卒業式 さよならだけは言わないぜっ 俺に構わず行ってくれっ!! 『いいぞっイソップっ!!』 仰げば嘔吐し和菓子のON。 ♪こーの支配からの・・・卒業」が開催されました。 この中で、参加者からの質問に志穂さんが本音で答えていましたが、 この場だから話せるという内容も多く、今までの疑問も解けたようです。

なお、解散後も、2001年5月6日に開催された「菊池志穂バースディライブ」 の会員優先チケット予約が実施されました。 また、当日は (元) 事務局スタッフさんが運営を担当していたようで、 これまでと同じような遊び心も随所に見られました。


「スマイリーキッズ」の特典

ファンクラブの特典には、以下のものがあります。


菊池志穂って誰?

菊池志穂さんの本業は声優です。 これまで、CDドラマやゲームの声優を中心に活躍してきました。 デビュー作は、CDドラマ「電撃アイドル戦隊ガオレンジャー」(増葉みあ役)です。 他に代表作として、ゲーム「ときめきメモリアル」(館林見晴役)、 ゲーム「トゥルー・ラブストーリー」(桂木綾音役)、 アニメ「神八剣伝」(ルーティ役) などがあります。 1999年、それまで所属していたアーツビジョンを辞めてフリーとなりましたが、 2000年より81プロデュースの所属となっています。 これをきっかけに、アニメやゲーム以外のアフレコも担当するなど、 仕事の幅が広がっているようです。

菊池志穂さんは、CDドラマやゲームのキャラクターソングを多数歌ってきましたが、 1997年12月にワンダーエンターテイメントからリリースされた 「きみとぼくのうた」で歌手としてデビューしました。 これまでに、シングルCDが4枚、アルバムが4枚 (うち、ミニアルバムが2枚) リリースされています。 2000年9月26日に自主制作アルバム「life」をリリースし、 こちらはファンクラブ会員およびホームページ、 イベントでの限定販売となっていましたが、 2000年12月よりアニメイト各店でも販売しました。

[追記] なお、2001年12月17日には再び自主制作のセルフプロデュースアルバム 「Climb The Mountain」をリリースしました。 アニメイトの店頭と、コスパの通信販売のみでの販売でしたが、 「メモオフ・ファーストコンサート」での先行発売もありました。 このCDを最後にアーティスト活動を休止し、役者に専念されるとのことです。

また、菊池志穂さんはラジオ番組のパーソナリティとしても活躍されてきました。 コミュニティーエフエムで放送されていた番組をきっかけにファンとなり、 現在までファンを続けている方も多くいます。 1999年8月、神奈川県相模原市のコミュニティー局「エフエムさがみ」で 「おさるのうっきーサマー」の生放送を行ったのを最後に、 現在では特にレギュラー番組を担当されていません。

さらに詳しいことについては、ファンの方の作成したホームページを 参照していただければ、と思います。


遅刻の帝王 <teio@teio.org>